コリラックマの画像をみて色々と考えてしまったので

なにか書きたいと思った

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もともと自分の欲求に対して無頓着なところがあると認識している。

自分を少しないがしろにしているといっていいかもしれない。

それは単純に自分の肌を刃物で傷つけたりするということではない。

考え方の問題というのでしょうか。

例えば、なんだかもやもやしている日があったとします。

もやもやじゃなくても、なんだか疲れてたりする日。

そういう日っていうのは、基本的に自分の気分があがらないもので

無理に何かしようとしたり、頑張らないとできないことは控えたほうがいいものである。

しかし、そこでなにかやろうとする傾向がある、というものだ。

もちろん、それは努力という意味では素晴らしいことであるし

なにかを毎日継続させている点からすると、ほめるべきことである。

だが、それが自分の限界を超えようとしているならどうだろうか?

なんだか今日は休みたい気分なのに、頑張ってしまう。

なんのために?

それは分からないけど、そういう心理的傾向があるということを自負している。

 

そんな気分でコリラックマの画像を見ていた時に

なんだかはっとさせられてしまったのである。

毎日やりたいことは変わるのだから。。

何かをはじめたらそれを続けなきゃという思いが強い時がある。

せっかく始めたのに、途中でやめてしまうなんてもったいないじゃないかとか。

継続していればいいことがあるよとか。

もちろん、それはとても本質を得ている。

続けるということはなにがしかの努力をしないとできないことである。

 

しかし、そんなに何かをすべきなんていうことがあるだろうか?

昨日の自分と今日の自分がやりたいことが変わっていて何が悪いのだろうか?

いつまでも同じ自分など存在できるのだろうか?

そんなことは無理だろう。。

 

たとえ、今日嫌なことがあっても明日には好きになれるかもしれない。

今日の自分と明日の自分が全然違う心理状況であっても大丈夫だと思える。

そういう気持ちで生きていけたら、とても気楽なのになと考えた。