生きるのがへたくそ
生きるのがへたくそだなと、感じる時が時々あります。
初めに断っておきたいのですが、自分の不幸自慢であったり自己憐憫に陥ろうとしているわけではありません。
単純に、自分という人間を時々観察しているともうちょっとうまく人生を生きられないのだろうかと、考えるからです。
なので、今日はなんとなくこの生き下手さについて、少し考えてみたいなと思った次第なのです。
特に結論が出るわけでもなく、少し考察してみたというレベルの話なので、オチも劇的な気づきもないと思います。
そういうことで、少しお目目を汚してしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。
【議題】
①どうして生き下手になってしまったのか?
②これからどうするのか?克服するのか?ほっておくのか?
①どうして生き下手になってしまったのか?
生きるのが下手くそというのは、少しばかりざっくりしている言葉ですので、僕が思う生きるのが下手くそについて実例とともに、言葉の定義を決めていきたいと思います。
単純に言ってしまうと
「人間関係がほぼない」状態
だと僕は思っています。
僕が考える生き下手というのは人間関係のよしあしに関係していると考えます。
それは人間関係の悩みなんじゃないか?と聞こえそうですが、まさしくその通りだとも言えます。
自分以外の人間と接点がないこと、そしてそれで完結していること。
一見一人だけで生きていそうですので、生き上手に見えますが、僕の実感からしてそんなことはありません。
人は人との関わりの中で生きていると、そう聞きました。随分昔の話です。
人間関係から断絶している状態というのは、少しひどい言葉を使用すると精神が麻痺している状態に似ています。
虚無を見つめている感じでしょうか。
なにか義務がないと落ち着かない。いたずらに課題を求めて、それを達成することに喜びを見出そうとしているといった感じです。
自分の欲求というものが欠落しているような感じなのです。
ここで、少し自分のステータスを披露させていただきますと
年齢:29
友達:0人
家族仲:ほぼ断絶
仕事:会社員
といった具合でして、仕事以外での人間関係はほぞ0に近しいと、考えます。
こうして書いていると、自分がとても寂しそうな人間に見えますが、当方はそこまで寂しさというものを感じてはいません。
生まれてからずっとこの状態が続いて生きた訳ではなく、あるタイミングでこの状態になるよう自分から仕向けたと自負しているからなのです。
そう考えるよう仕向けたと言っていいかもしれません。
まあ、なんのタイミングでそうなったというのは今回の議題から外れてしまうので、割愛させていただきまして、考えるべきは人間関係を断絶しているとどうなるのか?という点に注目していきましょう。
みなさんなら分かるかもしれませんが、友達や家族というのは意識的に自分から切ろうとする行動をしなければ、わりと自然にできあがっていくものです。
わざわざ関係を意識的に築き上げようとするものでもなく、なんとなく一緒にいるうちに友達になっていったりしてしまうものでしょう。
僕は、それを意識的にやめていました。
人との関係がダメになった、面倒になった、苦手になった、疲れた。
色々言葉はあるかと思われますが、信じられなくなった。
そういった言葉がしっくりとくるかもしれません。
もとよりそういう人間だったのでは?と思うかもしれませんが、当方小学校から高校卒業まである程度友達もおりましたことを記憶しております。
さて人間関係がほぼないと、どうして生きるのが下手くそなのか?
それは人間が人との関りを無意識でも意識的にでも求めているようになっているのではと、最近考えています。
もちろん、人は社会的動物ですし、さまざまな本でも人との交流が脳科学的にみても有用なことは明らかであります。
ですが、僕はそれをしたくないと考えてしまいました。
自分もそこまで馬鹿ではありませんので、それから生ずるデメリットについてもある程度予想がついていたものだと思っております。
実際、人と関わることで消費されるエネルギーというのは、自分でもかなり消費されていることを、時々発生するイベントで痛感するところであります。
そして、まさに人間関係から生ずるそういった、苦しみも喜びも、自分は放棄してしまった。
そう言えるのかもしれません。
それこそ、生きるということに関して放棄しているのと同義であると思っております。
②こらからどうするのか?
どうもしません。
当方、今のところあまり不便さを感じておりません。それと同時になにかしらの楽しみも失っているとは思いますが。。
今更、方針転換するのもなんだかなあと考える次第であります。
世界に対するとらえ方というのは、人それぞれなのだと思いますが、僕は人となるべく接しないような生き方を選んでいる。
そういった結論になりそうなのです。
それが良いか悪いかは、とりあえず考えないでおくとして、生きるのがへたというのはそういうことなのではないかと、思った次第です。