嫌われる勇気を読んで
いまさら「嫌われる勇気」を読んで、何を書くことがあるのかと疑問に思うかもしれない。
もちろん、自分も何某かの思考が浮かぶとは思っていなかった。
何回も読んだ本であるし、最近では読むことすらなくなっていた。
だが、ときどきなぜか心惹かれる気持ちが湧き上がってくる。
それはなにか大切なことが書いてあったんじゃないかとか、見落としていたことがあるんじゃないかという些細な疑問である。
そういった小さな引っ掛かりが今日もまた、「嫌われる勇気」へと自分を導いたのだろう。
最初に読んだときはいつだったか思い出せないが、出版されてから割とすぐに読んだことは覚えている。
そのときは、よくある自己啓発本としては分かりやすくうさん臭さがないなあという印象だった。
文章自体も対話形式であるし、変な押し付けがましいところがないことが気に入っていた。
読んだ当初は、色々仕事も人間関係も割と順調だったので別に大して啓発を受けていなかった。
よくあるビジネス書の一種で、売れるだけの要素はあったけど、自分にはそこまで大切な本になるとはあまり思っていなかった。
今日、久しぶりに読んだ。
そうすると僕がなぜこの本に影響されなかったのかが分かった気がした。
というより自分がなぜ今の生活にあまり満足していないかということを理解した。
この本の中で「優越性の追求」という言葉がでてくるが、そこの説明でこう言っている。
「自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者より上を目指さんとする競争の意志ではありません」
ここでは、優越性の追求に対して、他者を蹴落とそうとすることを述べているのではなく理想の自分との比較に基づいて前に進むことであると説明している。
そこで、僕は気づいてしまった。
たぶん、僕はこの先人生をちゃんと生きようという意思がなかった。
理想とする自分という像に対して、僕は人生を自分で終わらせるという結末を用意していた。
どうしてそういう結論を出そうとしていかとかは、長くなるからここでは書かないが
僕の根底にある思考として、自分の人生をいつでも終わらせるということがあることに気づいていた。
僕は前を進もうとする意志を持ち合わせていないんじゃないかと久しぶりに気づいたのである。