人は文章を書かずにはいられない、と時々思うのである。

 

良く考慮された文章というのは、読んでいて気持ちが良くなる。

明瞭な結論、簡潔な文章、詳細な記述。

テンポの良さが文章を読んでいて、どんどん気持ちよくさせる。

時には、冗長ともいえるような文章もある。

そこまで回りくどい言い方をしなくても、と。

もちろん、余計なセンテンスを盛り込んでいるなと、読み始めたときは感じる。

だけど、読み進めていくうちにそれも必要なことだと気づくのである。

 

人は毎日、毎時間、だれしもなにがしかの思考を持っている。

それは、素晴らしい考えかもしれないし、とてもくだらないものかもしれない。

時には、残酷さや鋭さすら混じっているかもしれない。

読むと刃物のように鋭利に人の心を傷つけるかもしれない。

だけど、確かに思考の上澄みというのは存在している。

それを救い上げて、ドキュメントとして起こすことは、とても大事なことだと思うのである。

 

個人の考えなんてだれが読みたがるんだと、考える人もいるだろう。

もちろん、その考えは否定しない。

意見というのはその論理性より、だれが主張したかのほうが大きな影響を持つことは多々ある。

だから、匿名の個人の思考なんて気にしない人がほとんどだろう。

むしろ、書くことすら恥ずかしいことだと思っているかもしれない。

 

だけど、きっと世界のどこかでその名も知らぬ誰かの文章に救われる人がいることを僕は知っている。

それは、僕だったから。

誰かの文章がを僕に勇気や知恵や、共感をくれた。

それは一時的な薬のような作用だったかもしれないが、僕はそのおかげで生きていると思うのだ。

 

だから、書いてほしい、と思う。

その、どうしようもない悲しみや日常の優しさや幸せを。

この生活が確かになにがしかの豊かさで成り立っていると証明してほしいのである。

その、単純で情熱的な思考にこそ価値があるのだと。

洗練されていなくても、君の感情があふれ出していれば。

その、熱量で誰かを溶かすことが出来れば。

 

そういう文章が好きである。

だれも傷つける必要もないし、元気づける必要もないけど、

読んだ途に、少し心があったかくなればいい。