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どうしようもない時がある。
色々な人生の問題が降りかかってきて、にっちもさっちもいかないようなとき。
どうしてこうなってしまったのか、どこで間違えてしまったのか。
最初からちゃんとした人生を歩けるわけないのに、後悔するような日が来る。
一般とか、普通とかいう人がどれほど世間にいるのかは分からないが、そういうネガティブな日は、最悪の選択肢を持ってしまう自分がいる。
最悪というのは自分を自分で終わらせるという選択をとるという意味であるが、僕はこの選択肢を僕の人生に持ち込んでしまった。
これは一回持ち込んでしまうと、ことあるごとにずっとこの選択肢が僕の人生にちらついてくる。
特に、物事がうまくいかない時は顕著で、一生取れない服のシミのように僕の人生をほのかに暗くさせる。
頭では理解している。
この選択肢がどうしようもないということも。
この選択肢は何も解決しないということも。
その選択肢を選ぶぐらいだったら、もっと人生を好き勝手に生きればいいんだよということも。
分かっている。分かっているけど。
この考えがどうしても頭から離れてくれなくなる。
だけど、生きていかないといけない。
べき論で生きていかないといけない、と僕は信じている。
生きていくことに何の価値があるのだとか、どういうメリットがあるのだとか、意味とか、理由とか、ごちゃごちゃ色々うるさいことがあるかもしれないが、「生きていく」という選択肢をいつも信じている。
これは論理的な思考というより、信仰に近い。
生きていく、それを妄信的に崇拝している。
色々、最悪の選択肢を選ぶ理由はきっとある。
それは星の数ほどある人もいる。
だけど、最後の最後に生きていくという選択をとることこそが、僕に残された最後の砦だと思っている。
そこに明確な論理とか、科学的な思考とかはなく。
ただそう信じている。