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どうしようもない時がある。
色々な人生の問題が降りかかってきて、にっちもさっちもいかないようなとき。
どうしてこうなってしまったのか、どこで間違えてしまったのか。
最初からちゃんとした人生を歩けるわけないのに、後悔するような日が来る。
一般とか、普通とかいう人がどれほど世間にいるのかは分からないが、そういうネガティブな日は、最悪の選択肢を持ってしまう自分がいる。
最悪というのは自分を自分で終わらせるという選択をとるという意味であるが、僕はこの選択肢を僕の人生に持ち込んでしまった。
これは一回持ち込んでしまうと、ことあるごとにずっとこの選択肢が僕の人生にちらついてくる。
特に、物事がうまくいかない時は顕著で、一生取れない服のシミのように僕の人生をほのかに暗くさせる。
頭では理解している。
この選択肢がどうしようもないということも。
この選択肢は何も解決しないということも。
その選択肢を選ぶぐらいだったら、もっと人生を好き勝手に生きればいいんだよということも。
分かっている。分かっているけど。
この考えがどうしても頭から離れてくれなくなる。
だけど、生きていかないといけない。
べき論で生きていかないといけない、と僕は信じている。
生きていくことに何の価値があるのだとか、どういうメリットがあるのだとか、意味とか、理由とか、ごちゃごちゃ色々うるさいことがあるかもしれないが、「生きていく」という選択肢をいつも信じている。
これは論理的な思考というより、信仰に近い。
生きていく、それを妄信的に崇拝している。
色々、最悪の選択肢を選ぶ理由はきっとある。
それは星の数ほどある人もいる。
だけど、最後の最後に生きていくという選択をとることこそが、僕に残された最後の砦だと思っている。
そこに明確な論理とか、科学的な思考とかはなく。
ただそう信じている。
ブログのモチベーション
ブログを書こうと思う時は、どこかしらメンタルが不調な時が多い。
家庭内の問題だったり、仕事の問題だったり。
内面の鬱屈とした思いがグルグルしてしまって、どこかで吐き出さずにはいられないのだろう。
毎日順風満帆な生活をしているとブログを書こうという気概が起きない。
そうして考えてみると、文章を書くというのは僕にとっては一種の治療みたいなもので、明るく文章を書ける人は尊敬せずにはいられない。
最近は仕事を辞めて、時間が有り余っているためブログを書くモチベーションが高い。
というより、ゲームも飽きて、映画も飽きて、読書も飽きて。
消費するだけの娯楽に飽きてしまった。
自分の中に過剰に娯楽を摂取し続けていると、どんどんカロリーオーバーになってしまう。
入力と出力はバランスよく。
インプットとアウトプット。
巷でよく聞くビジネス用語、ライフハックのくだらない言葉が一瞬頭によぎる。
ブログというのは今では死滅したコンテンツなのではないか。
インターネット老人のたまり場なのではないか。
そういう意見もたまに目にする。
今どき、もう流行らない。稼げない。見ない。
分かっている。
そういうことは分かっている。
だけど、動画や画像じゃなくて文章でしかない面を表現できない人だっている。
ツイッターの文字制限だけじゃ、かけない思いを抱えている人もいる。
そういう人はブログで救われると思っている。
会社をやめた
会社をやめた。
入った時からいつかやめるんだろうなとは思っていたから、わりと計画していたことではあるが結構急なタイミングだった。
いわゆるSES会社だったので、ちょうど現場の契約が切れたタイミングだったのでちょうどよかった。
本当は次の会社が見つかってからやめたかったのだが、契約が急に切られたこともあり、この機会に辞めようと思った。
辞めた理由はいろいろあるが、一言でいうとSES事業が自分には合っていなかった。
現場ごとに変わる人間関係。
自社社員との関係性の希薄。
指導をもらうような先輩社員。
とにかく入ったころから自走自力で頑張っていた。
入っている現場の協力会社の方に、必死に教えてもらいながら、仕事をなんとか進めていた。
だが、そんなことが現場が変わるごとに発生して、いい加減疲れてしまった。
ちゃんと自社の方と一緒に働ける環境がいい。
そんなことを思いながらずっと働いていいて、つい3か月前にその思いが爆発してしまった。
新しい現場の面談を受けている途中で、これなら転職して新しい会社に入ったほうがいいのではと考えてしまった。
わりと貯金はあるほうだったので、転職先が見つからないこと自体はそこまで不安じゃなかった。
なんなら3か月ぐらいはゆっくりしてもいいかなと思っていたし、自分探しではないが、今まで4年ほど働いてきて、自分がこの業界に合っているのか見極めたかった。
会社が悪かったのか、IT業界が自分に合っていなかったのか。
日々の業務に追われていると、そんなことをゆっくり考える暇もなかった。
そして、3か月が経とうとしているげんざい。
働くモチベーションは皆無になった。
もちろん、お金を稼がないと生きていけないことは理解している。
理解しているが、まじで働く気が起きない。
それは怠惰だとか、でも生きていくためには、っていう言葉が何回も頭でよぎるが、このまま働いたところでいい結果になる未来が全然見えない。
大学生じゃないが、自分のやりたいこと得意な事、そういうことを探しきれていない。
自分が何者なのか、何ができるのか。
そういうものが自分の中で漠然とした不安となって漂っている。
ゲイの自撮りとツイッター
SNSはあまり発信しない人間ですので、見る専門ですが最近ゲイの方のSNSを見るのがつらくなってきました。
僕が観測している周りがたまたまそういう方が多いのか、ゲイの一般的なSNS投稿なのかは定かではありませんが、つらつらと感じていることを書いていみます。
①髪切り報告
えー、結論から言いますと、どうでもいいです。
髪切り報告を兼ねた、一番いけてる自分を見てほしいアピール。心底どうでもいいです。
いや、気持ちは分かります。
髪切って、つるつるピカピカの自分に酔いしれたくなりますよね。
見る側としても、いけてる方を見るのはありがたいものです。
だけど、最近本当にどうでもよくなってしまいました。
ゲイ、という言葉でひとくくりにできる問題ではなくSNSの承認欲求の塊を見せつけられるのがかなり気持ち悪くなってしまいました。
可愛い子は、普段でも十分可愛いので、そんな髪切った時に金太郎飴のごとくいちいち報告しなくても大丈夫です。
もっと自分に自信を持ってください。
②肌色多すぎ
まじで多すぎます。
なんならチラ見せ、もろだしもあります。
いや、可愛い人のものだったら誰しも見たいというのは理解できます。
ですが、それをインターネットの世界に放流してええんか?って心配になります。
他人からしたら余計なおせっかいと思われるのかもしれないですが、そんな自分を切り売りするようないいね稼ぎして大丈夫?って思います。
特にゲイの人ってすぐジムとかの鏡で肌色出すので、おなか一杯です。
セックスアピール多すぎです。
まじで気色悪いので、やめてください。
③下ネタ多すぎ
先日見たつぶやきだと、「掘られたい人はいいね」
はぁ?馬鹿にしすぎじゃないですか?
誰がだれとやっただとか、昨日こんなことやっただとか、くそどうでもいいです。
他人の性事情なんて知りません。
勝手によろしくやってればいいじゃないですが、SNSでわざわざ報告する意味ってなんですか?
自分こんなモテてます?
いや、十分見た目はいけてるんだからそんなことつぶやかなくて大丈夫ですよ。
年がら年じゅうセックスすることしか頭にないんですかね?
ゲイという生き方について
ゲイと恋愛と人生
僕は中学生ぐらいのころからゲイとして自分を認識しています。
厳密にいうと、中学生ぐらいのころは女性も好きだった時期もあるので、バイ → ゲイ?になってきていると思っています。
もちろん、社会的マイノリティとして生きているのでそれなりに悩みもあります。
会社の人たちにカミングアウトするのか、家族とは、友人とか、セックスはどうするのかとか。。
まあ、ゲイとして生きていこうとすると色々ありますよね。
昔に比べて、今はゲイは生きやすくなっているとよく聞きます。
同性愛者のメディア露出や社会的運動をよく目にするようになったり、LGBTQについて理解が深まっているようです。
僕個人の感想として、自分がまだ29歳ということもあるのか社会が変化していってるというのは、いまいちピンときていません。
昔と変わらず、同じ悩みで生きています。
今回、なんでこのテーマでブログを書こうと思ったのかについてです。
僕は、昔からなのですが自分の話や自分のことを現実世界で誰かに話すのがとても苦手です。
基本的にいつも聞き役に回りますし、質問されないことは答えません。
もちろん、自分の意見がないわけじゃありません。
あるテーマについて、それなりに自分の言い分もありますが、自分の事を知ってもらおうという意欲が薄いのだと思います。
ですが、そんな自分も時々書いているジャーナルのようなものが必要になる時がありました。
日記と呼ばれるほどじゃないですが、思考や感情の書きなぐりとよばれるものです。
そういったものを書くのはストレス発散になります。
他人に見せるわけじゃないので、目も当てられないような文章構造をしていますが、そこが気に入っています。
ですが、少し思ったのです。
これを人に見られるような形で公開したら、面白いのではないかと。
自己満足でも君が書くことに意味がある
ここ最近、しばらく敬遠していたというかあえて知らないようにしていたゲイの世界について興味を持つようになりました。
自分の社会性のなさからくる寂しさもあるのかもしれません。
同じようなセクシャリティをもつ人と、友人、もしくは恋人が欲しいと本気で思うようになりました。
そこでインターネットの海をさまよっていると、ゲイとしてメディア発信をしている人は少ないなと感じました。
もちろん、YouTubeやInstagramなど個人としてセクシャリティをオープンにして発信しているかたはたくさんいます。
だけど、僕が知りたいのはもっと同年代くらいのゲイが持つ普通のくだらない内面的な悩みを知りたいと思いました。
アプリで誰かとやりとりしていたとか、セックスがうまくならないとか。
ゲイの世界っていうのは、いわゆる下ネタが多い世界だと思っています。
もちろん、男性同士なのでオープンになりがちだという側面は理解しています。
ですが、そのオープンさが僕には少しきつかったのです。
僕が知りたいのは、もっと内面的な感情や思考です。
だから、書こうと思いました。
分からないけど、書いてみたくなりました。
これから、これからよろしくお願いします。
NetFlix BLODTYPEを見た感想
現代版「プラダを着た悪魔」
アン・ハサウェイとメリル・ストリープのファッション映画、かの「プラダを着た悪魔」を見て、おしゃれオフィスガール・ボーイに憧れた人は多数いるのではないだろうか。
かくいう、自分もあの映画の影響をうけてアパレルショップで働いたことがある。
ネットフリックスでみられる「BLODTYPE」はまさしく、現代版の「プラダの悪魔」だと言えるだろう。
女性ファッション雑誌で働く3人の女性と編集長、さらには彼女らを取り巻くボーイたち。
現代社会の問題を随時、取り上げておりより社会性を帯びている内容だ。
プラダを着た悪魔の内容は、アン・ハサウェイ演じるアンディが慣れない女性ファッション雑誌の会社で、ファッションに目覚めていくように、だんだんと周りから認められていくサクセスストーリーだった。
ミランダの威圧感やエミリーの高飛車な態度など、ファッション業界をイメージした時に思い描くステレオタイプをうまく表現していた。
しかし、BOLDTYPEでは、そういった昔の仕事に熱心な鬼上司のようなタイプはなくなったようである。
これは、現代的な今の社会の在り方を表しているのではないだろうか。
上司は、部下たちにわり寛容であり、同僚たちも仲良くプライベートも充実させている。
仕事が命というわけではなく、プライベートに重きを置いており、それを充実させることが大事なのである。
時には、現代社会の問題を取り上げ、世の中のトレンドとうまく融合させて、3人の女性の成長を描いている。
やはり衣裳部屋はテンションがあがる
「プラダを着た悪魔」で印象的なシーンを思い出すと、アンディが会社の衣裳部屋に行き、ファッションに目覚めていくシーンだろう。
通勤風景のシーンが変わるごとに、アンディの服装が変化していき、その変わりように目を奪われる。
筆者は、白色でまとめたスタイルが好きだった。。
BOLDTYPEでは、3人の主人公たちは最初からおしゃれだ。
それぞれが違うスタイルを持っており、衣裳部屋でファッションショーを行う。
デートや会社、パーティなどで様々に変わる彼女たちの服装に感化される女性たちは多いのだろう。
アパレルに少しでも興味をもつと、理解することだが服装というのは人の内面を変化させる。
着るものが変わるだけで、自身であったり態度というのは本当に変わるのである。
それは、自分を大事にしている証拠でもあるし
自分のスタイルに自信をもっていることの表れでもある。
特に、現代の社会では女性はなにかと男性と比べられがちである。
そういった中で、ファッションをばっちり決めて、毎日を生きていくことはとても大事である。
自分の中の、アイデンティティと理想が近づく気がするのである。
と、まあ
BOLDTYPEを見ると、明日からちゃんとした服装にしなきゃと思わせるのでが一番大事なことだ。
コロナによるリモートワークが盛んな今こそ、パジャマのままで一日を過ごす人も多いだろう。
しかし、服装をちゃんとすることで、毎日のちょっとした変化を楽しめることもある。
というわけで、せっかくリモートしているわけだから、おしゃれな部屋着を買って仕事をするのも悪くはないだろう。
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自分のことを考えすぎた時にやるべきこと
毎日生きていると満足いく時期もあれば、なんだか重苦しい毎日が続く日もあります。
時には、こんな問題を抱えているのは自分だけなんじゃないかと思ってみたりもします。
僕も、そういう時代というか時期もあったので分かります。
自分じゃどうしようもない問題に直面すると、そればっかりに日常が囚われてしまい、なんだか生きている意味が分からない。
そういう思考のループにはまってしまうことがあると思います。
そういうことを何回か経験していくうちに、足りないものについて色々分かってきました。
とりあえず、これをやっておけばストレスは大幅に軽減されたものを書いておきます
- 運動
- ちゃんとした休眠
- ちゃんとした食事
- お気に入りの音楽
- 感動する映画
問題の真っただ中というのは、周りを冷静に見れることができなくなっていますので、とりあえず上記のことをとにかくやってほしいです。
頭の中が問題でいっぱいになってしまっていることが原因ですので、考えない時間を強制的にでもなくしていきましょう
とにかく運動しろ
自分も含めて頭でっかちさんに多いのが、運動をおざなりにする点です。
もちろん、自分も運動なんて昔は大嫌いでした。
わざわざ疲れに行く意味が分かりませんでした。
しかし、ここ最近のコロナ禍によるリモートワークが始まりました。
いままで通勤で歩いていた日々がなくなっていくと、運動不足感がでてきてしまったので、僕は人生初めてジムに入会をしてみたのです。
最初はマシンの使い方も分からず、四苦八苦していましたが
最近あることに気が付きました。
運動をした後は、気分もよく、勉強の効率がいい
ほんとに冗談のレベルではなく、間違いなく感じました。
僕は、毎日英単語の暗記をしているのですが、ジムに行った後にやる暗記は他の日にくらべて如実に暗記量が違うんですよ。
これは明確に感じたので、ほんとに驚きでした。
また、運動をしている最中というのは筋肉をとにかく総動員して動かしているので、頭の中に余計な雑念が浮かばなくなります。
問題を抱えごみがちさんは、こういう強制的に頭の中を空っぽにする時間というのは本当に大事です。
とかく、考えすぎなのです。
寝不足を自覚しろ
次に言いたいのは、とにかくちゃんと寝ろです。
自分の事を観察していて、思ったのはストレスが増えている時期というのは、最近毎日ちゃんと寝れてないなあということが多いです。
もちろん問題のせいで、寝れてないということもあるかと思いますが、いつも12時くらいに寝てるのに、1時くらいまで起きていたりだとか
そういうことをしている時期は本当にストレスが増えてました。
これは、意識の問題なので、なかなか自覚をするのが難しいですが、ちゃんと寝てください。
すっきりした翌朝を迎えることができれば、冷静な頭で物事を考えられるようになり、問題も対処しやすくなっているはずです。
ちゃんと寝ろ!
栄養価のあるものを食べろ
えーと、毎日楽しようとしてカップ麺とか冷凍食品ばかり食べていないでしょうか?
もちろん、時間がない時はそういった食品はとても便利なのは知っています。
簡単に作れて、洗い場が汚くなったりしませんよね。
ですが、そればかり食べているのはやめてください。
体は食べるものでできています。
食べるものが変われば、そこから出来上がるものを変わるってもんです。
甘いものや油ものばかりで、消化に時間をかけてばかりじゃ明晰な頭脳とはなりません。
食物繊維と発酵食品をとにかく毎日どこかしらで食べてください。
お気に入りの音楽を聴け
音楽といっていますが、ここからは趣味の世界です。
僕の好きなことが音楽を聴くことなので、ここでは音楽といっています。
運動のところでも書きましたが、頭でっかちさんは自分の問題を忘れる時間を無理やりにでも作るべきです。
それは、ただ単純作業を延々とやるようなゲームでもいいですし、料理だったりとかあると思います。
大事なのは、問題を忘れるということです。
僕の場合は、音楽の力に影響されやすい体質なので、好きな音楽をかけてずっと踊ります。
何かに没頭することができれば、問題はいつの間にか消えてなくなっていくものです。
長く考え続けても問題は解決しない
問題を抱えごみはちな人は、自分で問題を解決したがりだと思います。
それは、素晴らしい特性でもありますが、問題解決のスピードという点ではあまりにも効率が悪いです。
さっさと他の人に相談するか、それができないならそれを考えるのは一旦やめたほうがいいです。
ある程度の時間をかけても、解決策が見つからないのであれば、それは今の時点でのあなたには解決不可能ということなのです。
それは、恥ずかしいとかではなく、ただ知識とか知恵が足りてないだけなのです。
だから、自分ひとりで抱え込むのはやめてください。
という、自分のための備忘録