ささやかな願い

 

 

 

仕事をしばらく休職して思うのは、本当に働くことがいやだったのだなと思った。

 

 

仕事を3か月ほどしていない。

自分のやりたいこと、探しているもの、それをこの休職期間中(ニート)で探そうと思っていた。

しかし、あるのは焦燥感と不安のみ。

あやしい投資話に鵜呑みになりそうになったり、一攫千金の馬鹿話を信じそうになったりと、順調に破滅への道を進みそうで面白い。

英語学習やブログ解説もその一連の流れである、どうせ長続きしなさそうなので、気楽にやることにしている。

 

 

すこし前にFIREという言葉がはやった。

流行りに乗っかっている自分としては積み立てNISAでS&P500を2年前ほどから始めている。

コロナの暴落期に買ったということもあり、最近の株価不況があるが、いまだに損益プラスで推移していると、なにごともタイミングが重要なのだなと思う。

働いている時は毎月安定した収入が入ってくることが、精神的にもいいように思えたが、時間の切り売りをしていることとトレードオフになっていた。

しかし、全く働いていないと、それはそれで何かまずい気がしてくる。

娯楽を消費しているだけでは、満たされない何かがあるのだろう。

人生はやはり、バランスが大事である程度のストレスとプレッシャー、そしてたまに娯楽とか余暇。

そういうバランスで成り立っていくのがやっぱり一番良いのではないかと思ってくる。

 

人は、娯楽を消費するだけの集中力が続かないし、ずっとストレスにさらされ続けることも難しい。

そいういう両天秤をかけていると、ある程度緩く働きながらサイドFIREを目指していくことが僕の目標なのかなと思っている。

ファットFIREをするほどの入金力をあげる気概もなく、ある程度社会と繋がっていたいという気持ち。

人と会わないとなると、とことん合わなくなってしまう性分なので、人間関係を求められる強制力が必要なのかなと感じる。